ゲートボールと我が人生〜ともに歩んだ30年
ゲートボールとの出会い
26歳で政治を志し、衆議院議員選に挑戦した私は、破れた後、弱者への思いを福祉というカタチで具現化しようと、昭和54(1979)年、社会福祉法人健祥会を設立し、翌55(1980)年、特別養護老人ホーム水明荘を開所ました。そしてその年の9月25日、私はゲートボールと出会いました。高齢者にも無理なく楽しめる新しいスポーツということで、興味半分、軽い気持ちで女性職員を講習会に参加させ、私も挑戦してみました。まったく未知のスポーツでしたが、とにかくおもしろく、すぐさま、その魅力に取りかれたのです。
9割を頭で、1割を体力でこなせばいいから、子どもから高齢者まで、三世代が無理なくいっしょに楽しめ、楽しみながらコミュニケーションをはかることができます。しかもやればやるほどに奥が深い。超高齢社会の到来を見越し、介護予防の概念を持ってた私は、「介護予防と世代交流に最適だ。これぞ、これからの高齢社会のスポーツだ」と直感し、迷うことなく、10月1日、ゲートボールを健祥会の会技としました。11月5日には水明荘ではじめてのゲートボール大会を開催、4年後には水明荘チームは「おはようゲートボール杯」で優勝するまでなっていました。
国会議員初の現役プレーヤー
以来30年、ゲートボールは健祥会と地域の高齢者とのご縁を生みながら、健祥会のヒット商品となり、二人三脚でともに歩んで、今があります。ゲートボールによって地域と深く結ば、また、ゲートボールを通して、職員同志の絆も深めてくることができました。
会技として職員に奨励し、施設対抗の職員ゲートボール大会を毎年開催、徳島健祥会福祉専門学校では、全学生がゲートボール3級審判員資格を取得しています。私も国会にあって唯一の現役プレーヤーとして、今も時間の許す限り、プレイを楽しんでいます。ゲートボールとともに歩んだ30年、会技という位置づけを超えて、ゲートボールは健祥会になくてはならないものであり、健祥会の宝、そして、まさにゲートボールは我が人生なのです。
2025年には3人に1人が高齢者という時代が我が国に訪れます。そうした社会にあって、地域が活力を持ち続けるためには、高齢者が健康で意欲を持って社会に関わり続けることこそが重要です。ゲートボールを楽しむことにより健康づくり・介護予防ヘの意欲を高め、いつまでも健康で、人といきいきとつながりながら生きることを楽しむ人生であってほしいものです。そのためにもゲートボールの魅力を大きな声で、発信し続けます。